カフェ越前屋 標高約380m
十曲峠入口 標高約330m
※野暮用の中津川郵便局からなので、前回と内容がダブります。
上金新田から19号の下を通る地下遊歩道は前回お伝えした通り、中山道激推し地域です。
これでもかというくらい「中山道」の文字が。さすがの当方も、これだけ書かれていると迷子になる気がしません。愛が強いです。
ここから先は、アップダウンが激しく、乱高下する株価のようです。
下り坂でも「どうせ次は上りでしょ、ほらー」などと、だんだん下りの爽快感すらなくなってきます。
そして、カフェ越前屋さんの目前の坂!
中津川宿からちんたら歩いてきた人々をふるいにかけるようなきつい坂です。
逆から来たおじさんが(下り)歩けず小走りになってしまうほどの坂。
このえっぐいえっぐい坂をデロデロになって登りきった後はしばらく劇的な下り坂。
危ない下り坂です。しっかりコントロールしないと。下手するとケガする下り坂です。下りだからと調子こけません。
下りが落ち着いたところで、現れたのは水戸藩士、熊谷三郎さんのお墓が。
幕末の水戸藩士で、天狗党(攘夷派)の一員だったのですが、党紀を乱す(乱暴者で無銭飲食を働くなど)ため惨殺。
憐れんだ落合の方々が供養したとのことです。どうせなら水戸に帰ってから成敗してくれよ、とも思いますが、
当時の価値観的にも水戸藩もキレッキレな方々がいらしゃったのもあり、問答無用だったのでしょうかね…。
幕末の中津川宿の方にしろ、落合の方にしろ、「倒幕か佐幕か」というどちらかにつかず、純粋に旅の方をもてなす、
困ったら助けるというスタンスをとっている方のエピソードが多くみられます。いい人多すぎる。
次の史跡は、木曽義仲さんの重心、落合五郎さんのお城跡が。今は落合五郎兼行神社という神社になってます。
木曽義仲さんが活躍したのは1180年くらいからなのでもう800年以上前のお話です。
落合五郎さんは木曽義仲さんとともに様々な戦で戦い、木曽に逃れたともいわれており、落合では「おがらん様」
と親しまれてるとのこと。落合では4つの神社がおがらん四社があるそうです。どこから「おがらん」の名前がつけられたんだろう?
また、この辺りは縄文土器などもでてきてるそうです。古い頃から小さな集落だったんでしょうね。
さらに中山道を進むと、ついに到着、落合宿!
中津川宿から落合宿までのアップダウンのえぐさもあり、近くて遠かったです。樹齢450年の門冠の松の曲がり具合がまたすごい。
どうしてこうなった…
そして「頭上注意」の看板もまた際立ってます。あんまり風流な看板だとみんなぶつかっちゃうからね。
少し先に進むと、古い町並みが残ってます。
落合宿は中山道44番目の宿場町。この辺りももっと落合らしい宿場町感がでてくると楽しそうですね。
そして、この落合宿の街並みをぬけると、あれよあれよと危険な雰囲気に…。道も狭くなり、人もいなくなり、
冬だからということもあり、心象的にも寒々しくなってきてしまいます…。
湯舟沢川を通り過ぎると小さく「十曲峠」の看板がひっそりと!こんなにひっそりと看板立てなくてもいいじゃない!
そして、二つの道に分かれています。右側の道が峠につながるえぐい坂…。