馬籠城跡 標高約560m
馬籠峠 標高約790m
さて、スタート地点の馬籠城跡。
看板が立つだけでほぼお城の面影はありません。
看板を見る限りでは、入れ替わり立ち代わりの激しい時代もあったんですね…。
馬籠城跡からは馬籠宿まではV字の道。
結構な下り→上りです。
途中、安全坊やの看板が。ここだけなんで何人もいるんだろう?
子供の通学路なんでしょうね~。
さらに、馬籠宿に近づくと「1回300円」と書かれた駐車場の看板が。
1回って何?1日ってこと?
さりげないコイン箱が置かれています。小銭しか受け付けない模様です。
謎な部分はありますが周辺に聞く人もおらず、そのまま進みます。
馬籠宿の通りに到着。
落合のえぐい坂やら十曲峠を越えた人
たちにとっては、
きっと馬籠宿は原宿の竹下通りくらいの輝きに見えただろうな…などと勝手に妄想。
ただ、この時期はコロナのため、緊急事態宣言下にあり、
お店もほぼ閉店、観光客も数人というさみしい状況に。
坂めぐりに来たのでにぎやかな宿場町を見に来たわけじゃないけど、
それにしてもさみしいですね…。
さらに行くと、石畳のえぐい上り坂が続きます。
かつて明治天皇のお供をした岩倉具視さんは、
人力車がこの坂を曲がり切れず、民家に突っ込んだというエピソードが。
この坂で人力車はきつすぎる。どんなスピードで走ってたんでしょうか。
明治人の脚力凄すぎる。
ノリのいい町ならきっと「人力車つっこみ祭り」など
とはた迷惑な祭りをしそうなんですけど、
馬籠の方は誠実かつ真面目なのでそんなことはしないでしょうね。
さて、展望台に到着。この日は天気に恵まれず、山がほぼ見えません。
そのため、いろんな看板を読ませていただくことに。
地元の文豪、島崎藤村さんの推しがすごいです。何かと引用引用です。
当方、中学の時に国語の先生が藤村さん大好きで
いつまでたっても藤村さんの詩「初恋」から進まなかったのと、
粋で明るい作風をなんとなく好んできてしまったので、今まで藤村さんを読んだことがなかったのですが、
この世知辛い世の中、時代についていけない、
思った通りの未来ではなかったなど(特に今は)、
そんなこともわかる年になってきたので、今後読んでみたいと思います。
また、平成の大合併の時の記念碑も。
岐阜が岐阜大好きなのが伝わる記念碑です。
岐阜県って日ごろ他所の県の人から「どこにあるかわからない」だの
「存在が地味すぎる」だの言われがちで仕方なく
「ですよねー」という返答しかできないこともしばしばの岐阜県民ですが
内心岐阜大好き!です。
そして外にはあまり出さないけど領土内では大いに叫ぶ「LOVE GIFU!」溢れすぎてます。
若干長野県気悪くしていないかと、と不安すら覚えます。
さて、さらに峠を目指します。
ここからはまた、さみしい道に。
細かなアップダウンが続きます。
そして、この辺りから頻繁にでてくるのこの鈴と看板!
そうですね、そりゃでますね。
今の時期は冬眠していらっしゃるんでしょうけど、
そりゃもう、不幸な出会いを避けてお知らせせねばならないですよね。
さらに進むと十返舎一九さんの狂歌が。
今でいうエッセイ、絵、物語を手掛けるクリエイターさんといったところでしょうか。
粋でシャレが聞いていて、晩年のお話を聞くと
「同じ時代にいたら、アシスタントしたのに!」と思わずにいられない方は当方だけではないはず。
さらに行くと明治天皇小休憩の碑が。
明治天皇の碑は、中津川・落合・馬籠宿にもあります。
明治天皇の先代まで天皇は京都から出ない、
会う方も本当に限られた人のみ。
武士の世の中になってから、700年くらいですか、
ずーっと天皇は京都にいたんです。
それがいきなり明治になって世の中が変わり、
天皇も今の皇居に引っ越し、全国各地に足を運び、
一から国造り、そしてこのアクティブさと時代を受け入れる柔軟さ。
なおかつ頭脳明晰ですぐちょっと書類おかしいとツッコミを入れる人でもあったそうなので、
畏れ多いのですが、エネルギッシュな方だな~と思います。
歴史の勉強だと、明治ってさらっと終わるけど、
ここで武士の世の中から近代にどうチェンジしていくのかって、とんでもなく大変だったと思います。
さて、さらに先に進みますと、この辺りは岐阜県ではありますが、長野の風土がなんとなく残っているような感じです。
古い家があちこちに。このあたりの風景は江戸のころとあまり変わりがないのかもしれませんね。
馬籠峠に到着。
この時は雪がまだ残っており、かなり寒かったです。
ここから先は長野県になります。
ちょっと長野側に入って、峠の茶屋をのぞいてみましたが、
コロナの影響か、もともと冬はやっていないのか、閉まってました。
今回でとりあえず馬籠の坂めぐりはいったん終わります。
また別で史跡巡りとか、いろんなことでお邪魔すると思います★